エッセイ、のようなもの。

双極性感情障害と生きる日々のこと


今日は良い一日にできそうだと思えた朝だったのに、その2時間後にはベッドに突っ伏していた。

もう生きていけないとさえ思った。
もう二度と仕事に行くことが不可能な気さえした。

この気持ちの波は何なのだろう。

プールの水をゴボゴボと飲んでしまった時のような気分の悪さだった。


記憶の濃度

 

失くしてしまいたい記憶が脳内を巡る。巡る。巡る。

過去を失くすことはできないという当然の事実が今、ものすごく堪え難い。


もし私が記憶喪失になってその過去を忘れてしまったとしても、他のひとの記憶には残っているし、事実がなくなるなんてことはないのだ。

そう思うと、もう、絶望感に打ちひしがれる。


10代の頃にあったようなフラッシュバックはもうないけれど、記憶の大波にのまれることはあって、うまく泳げない私はいつも溺死しそうになるものの、結局寸前のところで生き残ってしまう。



今私の脳を占めている失くしたいほどの記憶は、濃度がとても濃いのだろうと思う。

記憶を失くせない以上は、その濃度を薄めることくらいしかできない。

いや、濃度を薄めることはできるぞと考えるべきか。


濃度を薄めるためには何かを足す必要があるはずだ。

失くしたい記憶の濃度よりも濃い何か。

その"何か"はもちろん、新たな記憶だろう。

新しい経験をすること。

新しく思い出をつくること。

今ぱっと思いつくのはこんなことくらいだが…。


経験をするのも思い出をつくるのも、子供の頃より簡単ではないし、時間がかかるもの。

結局のところ、「時間が解決してくれるのを待つしかない」という、私が嫌いなこの文言に行き着いてしまいそうで、意地でも違う結論を導こうと頭をひねる。

いや、そもそも、物事の解決には時間がかかる場合があるというだけであって、時間そのものが物事を解決してくれるわけじゃないような。

時間なんて流れてるだけじゃん。と言ってしまえば終わりでは?なんて。



今日は記憶の波にのまれて、絕望感にのまれて、一日を過ごした。

土曜日は三連勤明けの休日なのにいつも、特に調子が悪い気がする。

明日は穏やかな気持ちで過ごせたらいいな。



愛されたい。

 

深夜2時。

私の体内で今、30の錠剤が溶けていっているのを誰一人として知る者はいない。

そう思った時、ふと感じた。


愛されたい。


本当は、愛されたいなんて思う人間でいたくなかった。

他者から与えられる愛がなくても生きていける人間でありたかった。


だけど今、もう、どうしようもないくらいに、

誰かに愛されたいと思ってしまうのだ。



今夜だけでも

 

なんでだよ。

私は苛立った。

仕事へ向かう道中に左胸と背中が痛みだし、呼吸が苦しくなった。

なんで痛くなるんだよ。

なんで苦しくなるんだよ。

悔しくて悲しくて、腹立たしかった。


無理をしているのかもしれない。

でも引き返すことは考えなかった。


半ば自棄になって仕事した。

胸痛なんかに邪魔されてたまるか、負けてたまるかと力を奮い立たせた。

それでも今日も、私の目は死んでいたみたいだ。


疲れた。

何に疲れたのかは、もはや分からない。


どうか、今夜だけでもいいので、

悪夢を見ずに、眠らせてください。 



作り物の元気でもいいから欲しい

 

ここしばらく、言葉が何も浮かんでこなかった。

自分が何を考えているのかも分からず、感情を探ろうとも心には空洞が広がるばかりだった。

 

職場では「目が死んでるよ」と言われる。

それは中学生から言われ慣れている言葉であって別にショックも何も感じないけれど、休憩時間にトイレの鏡で一応顔を確認したら、まぁそう言われても仕方のないような目をしていて、だからって気持ちを切り替えることも表情に気をつけることもできず、ただ不調を隠しきれていない自分に嫌悪感を抱いた。

 

このところ、職場の人と話すのも一苦労。

顔の筋肉に神経を集中させないと、表情が動いてくれないからだ。

明るく元気に振る舞いたいと思っているのに、実際は死んだ目で仕事している自分に苛立ちを通り越して哀れみを感じる。

接客業やサービス業でなくてよかった。

 

疲れているんだろう、それは否めない。

でも疲れているからって、それを周囲の人に一目で悟られてしまうほど不調が顔に出てしまう自分が嫌だ。

 

昔はもっと、取り繕えたはずだ。

笑顔も元気も、作って顔に貼り付けられた。

それはそれで苦しかったし、そうできることが良い事なのかは分からないけれど、少なくとも今は、作り物の元気でもいいからほしかった。

 

仕事中くらい、職場の人に心配をかけない元気な姿でいたい。

 

 

「あなただけじゃない」について。

 

「あなただけじゃない」

そう言われるのが、苦手です。

 

苦しいのは「あなただけじゃない」。

不安なのは「あなただけじゃない」。

つらいのは「あなただけじゃない」。

悩んでいるのは「あなただけじゃない」。

 

「あなただけじゃない」のだから耐えなさい。

そう言われている気がして、苦しくなる。

 

苦しいのは「あなただけじゃない」なんて改めて言われなくたって、そんなの分かりきったことだ。

この世の中で私だけが苦しんでいるなんて思ったことはない。

 

「つらいのはあなただけじゃないからね、頑張ってね」

精神科に入院していた時、看護師にそう言われたこともある。

私だけじゃないから何?これ以上どう頑張れって言うの?

私は発狂しそうだった。

 

思い返せば子供の頃も、親によく言われていた。

学校での不安や悩みを話した時などに「そんなのあんただけじゃない」と。

そうして私は我慢するのが得意になった。

 

誰かに相談しても「あなただけじゃない」と言われるのが目に見えている気がして、悩みも1人で抱えるようになった。

「苦しいのは私だけじゃない」と自分に言い聞かせては耐えて、耐えて、耐えてきた。

でも、耐え続けたその果てにあるのは、壊れた自分の姿だけ。

 

 

あなたも苦しい。私も苦しい。あの子も苦しい。

それは確かに、苦しいのは「あなただけじゃない」と言えるのかもしれない。

 

でも、あなたの苦しみが分かるのはあなただけで、私の苦しみは私だけのもので、あの子の苦しみだってやっぱりあの子にしか分からない。

苦しさは人それぞれ、いろいろある。

 

だからそれを「あなただけじゃない」で一緒くたにしてほしくない。

「あなただけじゃない」のだから耐えなさい、なんて以ての外。

 

 

「あなただけじゃない」って、励ましているつもりで実は相手を追い詰める言葉だな。

 

 


水曜日に仕事を早退してからこの数日間、泥のように眠っていた。
夢を見ては目覚め、また眠っては夢を見て目覚めを繰り返した。
見た夢の内容以外のことは、ほとんど覚えていない。

とにかく眠っていた。
とにかく泥のように。

垂れ流された工場廃水により表面が油でぬらついた汚泥に、全身が沈んでいるような気分だった。

もうすぐ今日が終わる。
今日は土曜日だったらしい。

『もうすぐ今日が終わる♪やり残したことはないかい♪』
数年前、当時交際していた彼が電話越しによくこのフレーズを歌っていた。
誰の何という曲か、結局聞かず終いで別れた。
ネットで検索すれば分かるだろうけれど、なんとなく分からないままにしておきたいと思う。


もうすぐ今日が終わる。
私は毎日、やり残したことばっかりだよ。